感じるままに連ねたい(連ねさせろ)

2017/3/25付けでブログを書き始めようと思いまして作りました。趣味興味に関すること、備忘録などをグダグダと書いていくブログです。

ワクワク感を大事にしたい

どうも。setrecです。

 

あー、腹立つ。腹が立つって言ってんだよ。

 

どうして、どうして急に誘うの?どうしてその日になってやっと誘うの?

そちらの予定が急に空いたから、って正当な理由じゃないでしょ。

別にあなたと交友したくないわけじゃないんだよ。どんな友人であれ、

急に呼び出す人間とは関係を断ちたいと思うんだよ。

 

例えばね、すでに遊ぶ約束はしていて、その時に「この後、○○行かね?」とかなら、

急でもまあ分かりますよ。別に冒険するのは嫌いじゃないですからね。

でもさあ、もともと会う予定がなかったときに「この後、○○行かね?」って

連絡してくるのは、本質的に異なるんだよなあ。

たとえるなら、「誕生日前に言われる『誕生日おめでとう』」と

「誕生日後に言われる『誕生日おめでとう』」くらい違う。

え、わかりにくい?雰囲気が違うんだよ雰囲気が!

 

要はね、私は「ワクワク感」が好きなんですよ。

共感してくれる人いると思うけどなあ。

だって、毎日、学校に通ってると同じようなことの繰り返しじゃないですか。

そりゃ勉強する教科は日によって異なるし、内容も違いますから、

完全に同じことの繰り返しだとは言いにくいですけど、

でもやっぱり表面的には「学校に通う」という同じ日を送っているわけですよ。

退屈しているんですよ。ただでさえ退屈なことに疲れてるんですよ。

 

それなのにあなたはそうやって急に呼び出すか。

 

むしろ、退屈な日々をずっと送れるのは、

「ああ、あともう数日耐えれば、○○のコンサートだ」とか

「今週末は○○と遊ぶ約束してるんだ、あと数日がんばろ」とかいう「ワクワク感」の

おかげだと思うんですよね。この事実を差し置くことは言語道断ですよ。

 

それなのにあなたはそうやって急に呼び出すか。

 

こういう人たちって、どうしてかなあ。逆の立場になって考えられないのか、

逆の立場で考えたうえで、そんなの知ったこっちゃねぇ!って誘うのか、

そもそも逆の立場であったときに、急に誘われることに抵抗がないのか。

どれに、もしくはまた別のグループに含まれるのかはわからないし、

性格って人それぞれですから、別に否定するつもりはないですけど、

もし、自分自身に、友人を急に誘う節があるのなら、

もっと「ワクワク感」に焦点を当ててみてほしいなあ。

きっと新しい素敵な感覚に襲われるはずですから。

 

以上。

講義のノートを取るべきか

どうも。setrecです。

 

ブログを始めてから約1か月くらいかなぁ、経ちました。最初の数日はまだ大学が始まって間もなかったので記事を書く時間を捻出できたのですが、最近は少々忙しくて更新が止まってました。すみません。

 

さて、今日は「講義のノートを取るべきか」という議題です。

うーん、どうなんでしょう。今となっては、私はほとんど板書を取らないですね。その講義を聴いていて、自分が気になったワードとか初めて聞いたワードをメモする程度です。

 

かといって昔(小学校・中学校・高校時代)はそうではなかったです。板書を丸写ししてました。でも結局ノートって見返さないんですよね。なんでだろう。ノートだけ見てもつまんないからかな。

 

で、なんで板書を丸写ししたノートを見てもつまんないのかを考えたことがありまして、その時の私は、「写すことに必死で内容は頭に入ってないから」と結論付けました。今も同じ考えです。でも、内容が全然頭に入ってないよう;;という状態だからこそノートって見返さないといけないんですよね。いやいやでも見たところでつまんないし・・・、いやでも理解するためには見なきゃ!・・・はあつまんない・・・

 

無限ループって怖くね?

だから今は講義を聴くことに集中して、ノートに取るのは前述したようなキーワード・キーセンテンスくらいです。

 

ところで、この結論に至ったのには、れっきとした理由があります。なんとなーく経験的にそうなんじゃないかというものではありません。

 

人間の脳は基本的に2つ以上のことを同時に処理できません。例えば、「話しながら聞く」とか「聞きながら聞く」とか「聞きながら書く」とかもそうです。いや、実際のところ、2つのことを同時にこなす身体的能力はあるんです。つまり「目と手を同時に使う」とか「耳と足を同時に使う」とか。でもそれが可能なのは、1つの処理に限定されます。

1つの処理をするのに複数の体の部分を同時に使うことはできますが、複数の処理をするのに複数の体の部分を同時に使うことはできません。そういう脳のつくりになっています。

果たして本当か気になる人は、個人的に脳のしくみなどについて調べてみると、理解が深まるはずです。

 

なるほど、だからか。だから「板書を取りながら、先生の話を聞く」ことは不可能なのか。板書を一生懸命取ろうとすれば、先生の話は頭に残らず(聞こえてはいるが、雑音と変わらない)、先生の話を一生懸命聞こうとすれば、板書が取れないのか。

彼方立てれば此方が立たぬ、とはこのことだったのか。

二兎追うものは一兎も得ず、とはこのことだったのか。

 

それならば、どちらか一方に集中する方が理に適ってるよねえ。

 

ということで、今はほとんどノートを取ってません。

ちなみに、ノートに取ったキーワードやキーセンテンスをグーグル先生に聞くと、その分野周辺のおもしろい話題などにもありつけますから(自分が興味のあるワードをメモしたのだから当たり前だけど)、自分で調べ上げることで、脳への定着率も上がるような気がします。(これはただの感覚)

 

でも実際そうですよね。子どものときって、なんでもかんでも、自分の興味のあることを親とか知人とか兄弟とかに聞きまくりましたよね。なんでゾウさんの鼻は長いの?とか。ものすごくベタな疑問ですけど。

 

でもいつからか、先生が教えることだけを教わって、覚えて、吐き出して・・・って。

本当にいつからですかね、ああ、私たちって知的に殺されてるんじゃないですか?

 

別に、先生の言うことは無視して、自分の興味のあることだけをした方がいい、とか言ってるわけじゃないです。ただそれはそれ、これはこれって感じで、子どもに倣って、知的好奇心は、独力で調べて満たすというやり方を忘れたくないなあ、という自分への戒めとしてここに書き残しておきます。

最短経路の確率について

setrecです。どうも。この記事は5000字くらいから成ります。

長いので心して読んでください

 

数学の確率についての話をします。

 

私は、受験生時代、数学Aの「場合の数と確率」の分野が苦手でした

(今でも多少苦手です)

が、今となっては受験対策として、する必要がないわけで、

そうなると、もはやイヤイヤやる必要もないわけで、

したがって、趣味として問題集に載っている問題などを、

暇つぶしに解いたりしてるわけですが、趣味としてやってみると、

意外や意外、なんだおもしろいじゃんと

感じることができるようになるまでには、なれました。

そこで、きっと同じ境遇(数Aの「場合の数と確率」の分野が苦手)

の人もいると思うので、ちょっと気づいたことをまとめてみます。

 

そもそも、なんであれだけ場合の数と確率が、嫌いになったのかと思い返してみると、

ある問題に対峙してからでした。

 

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「上図のような格子状の街路がある。A点からB点まで最短距離で移動する。

このとき、P点を通る場合の数を求めよ。」

 

こういう問題ありますよね。

そんなん求めてどうするのよ、とか考えるのは時間のムダっていうのは、

高校1年生の秋くらいに、定期テスト中に学びました。

 

いや、この問題は、簡単なんですよ。

A点からP点に行く経路が 5C2=10(通り)、

P点からA点に行く経路が 4C2=6(通り)、

なので積の法則を用いて、求める場合の数は 10×6=60(通り)

という具合に答えが出せますし、

 

もし、さらに、Q点なる点が追加されて、

「P点またはQ点を通る場合の数を求めよ」なんて問題になったとしても、

ほんの少し計算量が増えて、和集合の要素の個数に関する公式

{ n(P∨Q) = n(P) + n(Q) - n(P∧Q) }を用いるだけですから、

たいしたことはないんです。

 

ただこれが、

「P点を通る確率を求めよ。

ただし、右もしくは上に移動するときの確率はそれぞれれ1/2とする」

という問題になると、

たちまち難しくなるんですよね。

いや、答え(解き方)を知ってる人からすれば、何が難しいの、

というような問題ですけどね、初見だと確実に引っかかりますよね、これ。

 

初見のときの私はというと、

”右もしくは上に移動するときの確率がそれぞれ1/2???”

シラネ。えーっと、A点からB点までの総経路が 9C4=126(通り)で、

P点を通る経路が、さっき求めた10(通り)だから、答えは...

10/126=5/63 だ!

 

それで自信満々に模範解答を見て、ペケを食らうんですよね。

あのときのポカン具合と、そのあとのパニックは、

ドッグフードを目の前で消された時の、犬たちの反応の比じゃないですよね。

 

www.youtube.com

 

おかえりなさい。

そもそも確率を計算するには、「同様に確からしい」という前提条件が必要なんです。

確率計算が苦手な人の大半は、この「同様に確からしい」という概念を、

理解できていないのだと思われます。

(ここでは「同様に確からしい」という概念の説明はしません。

後日、記事を書いて追って説明するつもりです。)

 

実際、この最短経路の確率の問題では、

経路1つ1つが「同様に確からしく」ないです。

 

したがって、(P点を通る総経路)/(A点からB点まで行く総経路)

では正しい答えが、求まらなかったのです。

このことは、3枚の赤いカードと1枚の白いカードの計4枚のカードから、

目を伏せて1枚取るとき、赤いカードを引く確率が1/2ではないことと、

ちょうど似ています。

ちなみに、これの正しい答えは3/4です。

 

なぜ1/2でないかというと、「同様に確からしい」ように確率を計算するには、

(この場合なら)すべてのカードを区別して扱う必要があるからです。

全てのカードを区別して扱うとは、すべてのカードを対等に扱う、ということであり、

全てのカードを対等に扱うとは、「同様に確からしい」ということである、

という解釈で構いません。

 

すなわち、確率を計算するには、「同様に確からしく」ある必要があり、

それを実現するには、すべてのカードを対等に(区別して)扱う必要があるのです。

 

1/2と答えてしまう人は、赤のグループ、白のグループという風に、

考えてしまっているのではないでしょうか。

赤のグループには3枚、白のグループには1枚のカードが、ある状態ですから、

これでは、グループとしては対等ではありません。

(赤のグループ VS 白のグループなら、

赤グループの方が勢力が、強いイメージ?になってしまう)

よって1/2{(赤のグループの数)/(全体のグループの数)}は間違いです。

 

これを対等にするには、赤1、赤2、赤3、白1の4枚のカードとして扱う必要があります。

これならば、グループもなにも、赤1VS赤2VS赤3VS白1 という風にそれぞれが、

対等な状態でありますから、「同様に確からしい」と言えます。

(赤のカードは仲間同士ではないというイメージ?笑)

よって、3/4{(赤の枚数)/(全体の枚数)}は正しい答えであります。

(ざっくりとした説明です、ご了承ください。)

 

さて、確率の前提条件についての話はこれくらいにして、

なぜ、最短経路の経路1つ1つが「同様に確からしく」ないか、を説明します。

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さて...説明すると言いましたが、

経路1つ1つが、「同様に確からしく」ないことの説明が、非常に難しいです。

例えば、A点からB点までの総経路は126(通り)ですが、

これを、すべて→と↑の順列で表現すると...

 

(→、→、→、→、↑、↑、↑、↑、↑)

(→、→、→、↑、→、↑、↑、↑、↑)

(→、→、→、↑、↑、→、↑、↑、↑)

(中略)

(↑、↑、↑、↑、↑、→、→、→、→)

 

のようになります。

なんかパッと見、対等っぽいから、対等として話を進めよう!としても、

対等にはなりません。(つまり、私が初見で解いた時の解き方では、無理です。)

ではなぜ対等ではないか。

 

他のサイトを参考にして考えてたり、誰かと話し合ったり、

確率について、深く深く研究しているわけでもないので、

これが理由です!と言い切れる明確な理由は、まだないです。

 

「は?」とか言わないでください。

でも、この辺りが原因じゃないかなあ~という所までは、考えています。

 

1つ目。

まず、「偶然の度合い」という視点からの考察です。

確率は、そもそも、結果が偶然によって決まるもの、

についてしか、考えることができません。

だから「偶然の度合い」が変化すると(つまり、経路が一様でないと)、

対等とは認められないのではないか、という仮説です。

 

「偶然の度合い」について説明します。

問題設定では、「右もしくは上に移動する確率はそれぞれ1/2」と書かれていますが、これは、”分岐点では”という意味を含蓄しています。

つまり、分岐点ではないところ(右もしくは上にしか行けないところ)では、

その移動する確率は1である、という意味です。

最短経路の問題では必ずこういう場所が存在します。

(というか、存在してしまいます。)

そして、そのために「偶然の度合い」が一様ではなくなっています。

さきほど、すべての経路を順列表示しましたが、今度は、そのすべての経路について、

1つの移動がどの確率で起こったかを(確率)を付けて表記してみます。

すると...

 

(→(1/2)、→(1/2)、→(1/2)、→(1/2)、↑(1)、↑(1)、↑(1)、↑(1)、↑(1) )

(→(1/2)、→(1/2)、→(1/2)、↑(1/2)、→(1/2)、↑(1)、↑(1)、↑(1)、↑(1) )

(→(1/2)、→(1/2)、→(1/2)、↑(1/2)、↑(1/2)、→(1/2)、↑(1)、↑(1)、↑(1) )

(中略)

(↑(1/2)、↑(1/2)、↑()1/2、↑(1/2)、↑(1/2)、→(1)、→(1)、→(1)、→(1) )

 

はい、なんとなく言いたいことがわかると思います。

今度は、さらに(1/2)を〇で、(1)を×で表示してみます、矢印は省きます。

 

(〇、〇、〇、〇、×、×、×、×、×)

(〇、〇、〇、〇、〇、×、×、×、×)

(〇、〇、〇、〇、〇、〇、×、×、×)

(中略)

(〇、〇、〇、〇、×、×、×、×)

 

はい、疲れました。

この〇とか×が何を表すかと、言いますと、

〇は任意に移動、×は強制的に移動、

ということです。

 

アレアレ?

強制の数が変わると、「偶然の度合い」も変わっちゃいません?

1つめの順列と2つ目の順列って、その順列が確定するまでに要した手数、

と言うか、その順列が確定するまでに任意に選べる矢印の数が、

一致してませんよね。

そうすると、感覚的に同様に確からしいとは、言えないんじゃないんですか?

これって、トリビアになりませんか?

 

2つ目。

A点からB点まで行く確率が1であるということ。

はい、またすぐ「は?」とか言うでしょ。

説明します。

 

そりゃ、「最短で行く」って言うんだから、

「行く」って言ってんだから、そら絶対「行く」んだから、

A点からB点まで行く確率は1でしょ。

 

そうですよ?

 

「行け」ば、「行き」さえすれば、確率は1なんですよ。

ということは、一般的に言うと、四角形の対角線上にある2点(対角点?)の、

1点(A点)から、もう1点(B点)まで行く確率は、1です。

 

そうすると、「P点を通る確率」って、「P点に行く確率」じゃないですか。

だって、P点とB点が四角形の対角点(勝手に変な名前付けてすみません)

とみなせば、P点からB点まで行く確率って、1じゃないですか。

積の法則を用いれば、1はどんな数にかけても、結果に影響を及ぼしませんから、

結局「P点に行く確率」で良いわけです。

 

じゃあ、「P点に行く確率」をもし、定義通りに求めようとしても

(P点を通る総経路)/(A点からB点に行く総経路)で求まらないのも、

ぼんやり納得いきませんか?

 

以上の2つが、最短経路の確率を、

確率の定義通りには、求められない理由に近い何か、

なんじゃないかなあ~と思ってます。いろいろ考えたり、考察するのが楽しいですね。

 

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ところで、正しい答えはどうやって求めるの?って?

もう記事終わりたかったですけど、さすがにそうはいきませんか。

はい、解説します。

 

模範解答「書き込んでいくだけ」。

例えば、A点から右もしくは上に行く確率はそれぞれ1/2ですから、

A点の1つ右、1つ上の点はそれぞれ1/2の確率で移動します。

A点の右上の点(2/4となっている点)に移動する確率を出したければ、

移動前の点の確率に移動確率をかけたものの和で出ます。

(つまり、2/4=1/4 + 1/4 = 1/2 × 1/2 + 1/2 × 1/2 ということです。)

という風に順番に計算していけば、求めたい点に移動する確率はすべて出せます。

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ちなみに、この例では 10/32 = 5/16 となりやはり、

私が、初見で解いた時の答えは、ちゃんと間違っていたわけですね。

でも、これって数学なの...?(数学の参考書に載っていた解法です)

だって、書き込んでいくだけってさ...

と個人的には思ったので、少し数学チックに

補足します。

 

さきほど、P点を通る確率は、P点に行く確率だと言いました。

この図では、P点に行く総経路は、10(通り)あります。

この10(通り)を順列表示してみると...

(→→↑↑↑)

(→↑→↑↑)

(→↑↑→↑)

(→↑↑↑→)

(↑→→↑↑)

(↑→↑→↑)

(↑→↑↑→)

(↑↑→→↑)

(↑↑→↑→)

(↑↑↑→→)

 

です。(間違ってないよな...)

これらはすべて同時には起こりません。

よって、順列1つ1つの確率を求めて、

最後にまとめて足せばよいわけです。(和の法則)

ちなみに、1つの順列中では、同時に起こり得る経路ですから、

積の法則を用います。

 

試しに計算してみると...

1つ目より、1/2 × 1/2 × 1 × 1 × 1 = 1/4

2つ目より、....

 

やっぱり、もういいですか。勘弁してください。

 

と、まあこんな感じで、「最短経路の確率問題」についての考察は以上です。

ずいぶん記事が長くなってしまいました。

最後まで読んでくださった数学マニア様、

もしくは数学大好き人間様に感謝を申し上げます。

 

それから、趣味程度にやっているだけですので、

厳密な議論ではないことに注意してください。

また、誤植、指摘などあれば、教えてください。

 

それでは、また。

”変化に順応する”の正しい解釈は・・・

setrecです。どうも。

この記事は、2100字くらいから成ります。

 

今回は、”変化”と”変化にみえるもの”についての話をします

 

ただいま2017年3月27日、間もなく4月に入ろうとしています。

4月といえば春、春といえば別れと出会いの季節、

なるほど、変化を伴う季節ですね。

ここから連想された、変化に順応せよ、

という類の、半ば格言にも似たような言葉。

この言葉の正しい解釈ってなんなのか。

ちょっと考えてみます。

 

まず、変化が何を指すのか。

ここからもうすでに難しいですよね。

環境的変化、身体的変化、社会的変化・・・意外に思いつかない・・・。

きっと、まだ細分化できるはずですが、

ここでは環境的変化に絞って、話を進めたいと思います。

で、環境って何を指すの、という疑問が湧きますよね。

私が思うに、身の回りの人物関係および生活する土地、ほどの意味でしょう。

ほとんど、自分が帰属するコミュニティーの変化、と言っても過言ではなかろうか。

 

そう。俗にいう”変化”は、”環境的変化”を指していて、

その”環境的変化”は”自分が帰属する共同体の変化”

とほとんど同義であると言えます。

ここまで大きな偏見はないかと思います。

 

では、その変化に順応せよって、概してどういう意味なのか。

要は(環境的な)流れが変化したら逆らわず、

その流れに乗りなさいって意味でしょう。

つまり変化には逆らっちゃいけないよってことですよ。

裏を返せば、変化じゃないものには、逆らっていけってことですよ。

 

もっと言えば、”変化に見えるもの”は、本当に”変化”か、

しっかりと見極めたうえで、逆らうか、乗るか、決めなさいってことですよ。

 

したがって、

主観的には変化に見えているけど、客観的に見れば変化じゃないものには、

どんどん逆らっていけ、自分を突き通していけってことですよ。

 

じゃあもう少し具体的に話を進めて・・・

もう、きっぱりいいます。なんだよ若者言葉って。

 

なんだよ「ヤバイ」って

なんだよ「tkmk」って

なんだよ「マジ卍(マンジ)」って

 

言葉ってさ、結構パワーがあるじゃないですか。

言うなれば、神聖なものですよ。

その神聖なものを使いこなすには、甚大な努力と労力と時間などを、

要するわけじゃないですか。

そうですよ、甚大な努力と労力と時間を要するんですよ。

甚大な努力と労力と時間の鍛錬に乗り越えた者でしか、

言葉を完全には操れないんですよ。

そうではない人間が作った言葉がこれですよ、「マジ卍」。

 

いや、どういう意味なの・・・。

 

字面で分かんないじゃん。

検索しないと理解できないじゃん。

んで検索してみたら、「特に意味はない言葉」って出てくるし。

なんだよそれ。これ使ってる人間、マジ卍かよ。

確実に定着しない若者言葉って、なんのために生まれてくるのよ。

数撃てば当たる戦法なの?

そういう若者言葉を集めて、意味当てクイズ大会とかやる?

やらねぇよ。流行らねぇよ。

 

流行らせねぇよ!!!

 

いや、私だって使うものは使いますよ、若者言葉。

ただそれは合理的に判断して、この言葉を使うと、

便利にかつ詳細に、状況を説明できるなとか、

この言葉でしか、微妙なニュアンスを表現できないなとか感じたものか、

もしくは、その言葉が、子供から大人まで使う日常語彙として、

すでに定着しきってる場合に限りますけどね。

 

若者言葉全体を指して、批判しているわけじゃないんですよ。

良いものもありますから。

初めに使いだした若者(もしかしたら若者のフリをしたオジサンの可能性もあるが)を

批判してるわけじゃないんですよ。

イデアは大事ですから。

私の批判は、なんのためらいも、引っかかりもなく、

「なんかおもろい」という理由で、若者言葉を乱用する若者に対してです。

確かに、語感を察知して簡易評価を下す、その感性は大事ですよ。

ただその感性は、もっと他のところに活かそうよ。

 

まず自分自身、言葉について考え込まなきゃならないんですよ。

その上で、合理的な判断のもと、その若者言葉を使用するのが、

ベターだと結論するんですよ。

流れに身を任せているだけじゃだめなんですよ。

あなたには逆らう余地があるんですよ。

あなたは川の流れに沿う砂じゃないんですよ。

川の流れが変わったとして、ただそれに合わせてるだけじゃだめなんですよ。

あなたには逆らう余地が残っているんですから!!!

言うなれば、あなたは産卵の時期の鮭なんですよ!!!

 

ただアレですよね。

周りに若者言葉ジャンキーが多いけれど、自分はあまり若者言葉を、

良く思わないという状況に置かれている高校生、もしくは中学生、

あなたたちはつらいですよね。

だって周りに馴染めなかったら、輪から外されてしまいますもんね。

そういう子たちは、若者言葉を理解語彙に留めておくのが吉ですよ。

決して使用語彙に入れちゃだめです。

要は理解はできるけど、使うことはない、

という立場を取るのです。

(詳しくはwikipediaの「語彙」のページを参照してください。)

 

という感じで今回は、若者言葉に対する、価値判断の雛型を、

提唱する記事みたいになってしまいました。

皆さんはどう考えますか、若者言葉。

 

以上です。最後までありがとうございました。

ではまた。

受け売りが多すぎてぷんぷこ

setrecです。どうも。

この記事は1500字くらいから成ります。

 

ちょっと前に起こった、怒ったことについての話をします。

 

 

私が浪人生の時に、某予備校に通い始めて、

2,3か月経った時くらいの話です。

朝、予備校に登校し、授業を受けるために自教室に入ったとき、

友人たち(と言ってもまだ顔見知り程度)が

2016年参議院選挙についての話をしていました。

 

うお、高尚だなと思いました。

浪人生になると、朝からこんな話をしないといけないのか、と面食らいました。

 

私は正直、政治のことについてはさっぱりメロス状態で、

どの政党がどんな政策・マニフェストを掲げてるかも把握していませんでした。

当然彼らに朝の挨拶をすれば、こう振られるわけです「投票しに行った?」と。

だから私は、素直に「行ってないよ」とだけ答えました。

すると彼らのうちの一人は、私に「うはw非国民かよww」

と言ってきやがったのです。

 

いやいやと。おいおいと。ぷんぷこと。

 

私はたったその一言で怒り心頭に発したわけです。

無投票で非国民扱いってさあ、どうなのよ。

いや非国民発言が、冗談半分だということはわかるけどさ、

その言い草ってどうなのよ。

 

ほならね、お宅は全部の政党の全部の政策に目を通したのかと。

結構量あるぞと。

浪人生は(とりわけ私みたいな要領の悪い人間は)

そんなもんに時間を割いてる暇がないぞと。

がむしゃらに投票するくらいなら、無投票を選ぶべきだろと。

 

あのね、人間の一番愚かな行動のうちのひとつは、無知なのにでしゃばることですよ。

よく知らない分野に首突っ込んであーだこーだ垂れることですよ。

だってそうでしょ、人生で初めて、三ツ星レストランに行く人間が、

食事後にシェフ呼びつけるわけないっしょ?

そういうことだよ!!!

 

どうせお宅も、信頼できる誰か(twitterとかしてる発言力のある人間)が

呟いてたことを見て、「一理あるね!」くらいのノリで、

おんなじ政党に入れてるだけなんだろと。

(私はその彼のtwitterをフォローしてましたから、

彼のretweetなどからそういう反論が容易に思い浮かびました)

 

こんな反駁が脳内にあふれ出しましたよ。

そこで私はその彼にこんな質問をしました。

 

「で、どの政党に、なにが決め手で投票したの?」

 

これでかまをかけようとしたわけです。

もし、もっともらしい答えが返ってきたら、私が非を認め、

もし、もっともらしい答えが返ってこなかったら、縁を切ろうと。

そしたらなんて返ってきたと思います?

 

「え?いや、そういうのは言わないでしょ(笑)」

 

は?そういうの込みだろ。

そういうの込みじゃなかったら選挙のなんについて話するんだよ。

選挙会場の雰囲気についてか?

投票しに来た人たちの年齢層についてか?

それ政治の話の本質じゃないだろ。

メロスよりメロスかよ。

 

というわけで、私は「あっ、ふーん(察し)」と言って、

彼のtwitterのフォローを解除し、

以後、彼には一切の会話をもちかけなかったというわけです。

めでたしめでたし。

 

 

これはあくまで一例に過ぎないですけどね、実際多いと思いませんか?

受け売り論を武器に、「うはw俺博識ww」と優越感に浸る輩。

私は、人間として一番大切なスキルのうちのひとつは、判断力だと思います。

本当に博識ならね、自分で情報を集めて、自分で検討して、

自分で結論を導くことができなきゃいけないんですよ。

だからこういう輩に出会った、もしくはこういう輩が友人・知人にいる方は、

絶縁とまではいかなくても、少し距離を置いた方が、賢明かと思います。

なんのタメにもならないですからね。

どんな建設的な会話も成り立たないですからね。

 

とまあこんな感じで受け売りマスターに怒った話でした。

最後までありがとうございました。ではまた。

受験に対する反省・考察 その1

setrecです。どうも。

この記事は2300字くらいからなります。

 

3月です。それも下旬。

春ですから、新たな状況で、新生活を始める方もいらっしゃるでしょう。

私自身、この春から大学生として、新たな環境に身を置くわけですが、

それまでに感じたことが結構あります。それを書いていきます。

 

まず、私の状況をお知らせしますと、この一年間の浪人のあと、

敢無く第一志望の国立大学に合格できず、滑り止めの私立大学への進学が、

決定しました。

浪人期間は某予備校に通っており、成績は確実にアップしたわけですが、

第一志望の国立に合格には至りませんでした。

 

よってここに反省・考察を置いていこうと思います。

 

1点目。

そもそも勉強などというのは、やりたい人がやればいいわけで、

「いい大学に入るため」の過程ではないという認識が、甘かったなと。

浪人中の私は、とにかく成績をアップさせることが、当面の目標でした。

それも「いい大学に入る」ため。

しかしこの考え方が、そもそもおかしくて、

本当は、勉強が好きで好きでたまらない人間が、

その副産物として、「いい大学に入る」という結果を得る、

という流れが正しいのです。

まずここに気づけていなかった。

 

2点目。

私としても、一生懸命、受験勉強をやってきたわけで、

大学受験で出される問題に対する解決意識について、

個人的な意識すべきポイントは見出しました。

もしかすると、検索すれば同じようなことを書いているブログが、

あるかもしれませんが、あくまで独力で気づいたことを、

メモとして書いていきます。

 

まず、受験勉強をする上で、最も疎かにしてはいけないのが、

基礎・基本問題をに徹底的に取り組むです。

徹底的に取り組むとは、基礎・基本問題を見て、解答の大筋が、

パッと頭に浮かぶくらいまでに仕上げる、ほどの意味です。

自称進学校(笑)の信用していいのかわるいのか分からない教師が、

こぞって言いそうなことを、一番最初に言いましたが、

しかしこれは事実なのです。

私自身、自称進学校(笑)出身でありまして、これを実際に言われたことがあります。

しかし、私は、そういう教師たちとは違って、

これに対する納得できそうな根拠を、持っています。

(そもそも禄でもない教育者は、主張するばかりで、根拠が全然伴っていない、

というのが、彼らに対する、私の印象です。)

そのわけは、基本・基礎は、最も簡単・単純という意味ではない、からです。

もう少しかみ砕いて説明します。

多くの人が、この基本・基礎が、一番簡単・単純だと勘違いをしています。

しかし実際は、基本・基礎問題が、確実に一番難しいです。

確かに「基本・基礎/標準/応用/発展」などに分けられていたら、

そう勘違いしてしまうのも、無理もないですよね。(実際私も勘違いしていました。)

しかし「基」や「礎」などの漢字の感じからするに、その意味は、

「土台」とか「骨格」とか、要は一番完璧にしておかなくてはならない、

一番力を入れて、取り組まなければならない問題らしいことが、窺えますよね。

実際に、多くの標準・応用・発展問題は、最終的に、

基本問題に帰着させることができます。

よって、帰着させたとしても、そこからスラっと解けないならば、

全く意味がないのです。

繰り返します、一番難しいのは基本問題です。

 

では、我々が実感している応用・発展問題の難しさの正体は、なんなのか。

議題がコロッと変わりました。

これについて私なりの解は、一応あります。

でも、完全に鵜呑みにしないでくださいね。

 

数学を例にとって考えます。

応用・発展問題は、多くの場合、基本問題に帰着させることができる、と言いました。

しかし、その多くの場合、帰着させる操作自体が、難しい(思いつかない)のです。

 

基本問題は、あらゆる問題の骨格を成す問題ですから、

パターンが少なくないのは当然です。

パッと問題を見たときに、どこに落とし込む(帰着させる)のかが、

当然判別しづらいのです。

また、もしパッと見、「ああこれはこの問題に落とし込むのかな」

なんて思えたとしても、たいていの難問では、

そこに行きつくまでの操作(式の変形など)が思いつきません。

答えを見て、「なんでそこそういう風に変形するのよ・・・」と疑問に思うだけです。

 

でも、実はこれが一番大切なんですね。

「なんでそうするのか」という疑問が。

そして、その疑問に対する答えを自分なりに導くこと。

いろいろ試行錯誤した後、やっとの思いで(それこそ1つの問題に3日くらいかけて)

解けたとき、

「ああだから(この結果を導きたいから)、こうやって変形するのが有利なんだ」とか

「こう変形するだけでめちゃくちゃ楽に考えられるのか」とかいう

”””自分なりの理解”””が大切なのです。

だからもし、浪人を考えていて、予備校などに通う予定のある人は、

これを意識するべきだと思います。

 

それから、補足チックになりますが、考える時間を大切にしてください。

特に予備校に通う人は、自分でちゃんと考えてください。

そして講師の得意げな「ここ大事だから」という、

根拠のない主張を鵜呑みにせず、その主張に対して、

「なぜこれが大事なのか」という、”””自分なりの根拠”””を与えてあげてください。

(ほとんどの講師は、よく出題されるから大事だ、という根拠に基づき主張しますが、それは本質的な根拠ではないです。)

特に最初のうちは、考える時間が最も大切です。

時間制限内に解く演習は中盤からでいいです。

 

まだ書きたいことがありますが、とりあえずはこれくらいにして、

置きたいと思います。

 

それではまた。

初めましてのあいさつ

2017/3/25付けでブログを開設しました。

 

setrec(せとりっく)と言います。

 

自分の興味・関心・趣味、備忘録、意見文、その他もろもろの思ったことやまとめておきたいことなどを思ったように書いていくブログです。

 

私自身ブログを書くことに慣れていませんから、多少の読みにくさをお許しください。