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感じるままに連ねたい(連ねさせろ)

2017/3/25付けでブログを書き始めようと思いまして作りました。趣味興味に関すること、備忘録などをグダグダと書いていくブログです。

講義のノートを取るべきか

どうも。setrecです。

 

ブログを始めてから約1か月くらいかなぁ、経ちました。最初の数日はまだ大学が始まって間もなかったので記事を書く時間を捻出できたのですが、最近は少々忙しくて更新が止まってました。すみません。

 

さて、今日は「講義のノートを取るべきか」という議題です。

うーん、どうなんでしょう。今となっては、私はほとんど板書を取らないですね。その講義を聴いていて、自分が気になったワードとか初めて聞いたワードをメモする程度です。

 

かといって昔(小学校・中学校・高校時代)はそうではなかったです。板書を丸写ししてました。でも結局ノートって見返さないんですよね。なんでだろう。ノートだけ見てもつまんないからかな。

 

で、なんで板書を丸写ししたノートを見てもつまんないのかを考えたことがありまして、その時の私は、「写すことに必死で内容は頭に入ってないから」と結論付けました。今も同じ考えです。でも、内容が全然頭に入ってないよう;;という状態だからこそノートって見返さないといけないんですよね。いやいやでも見たところでつまんないし・・・、いやでも理解するためには見なきゃ!・・・はあつまんない・・・

 

無限ループって怖くね?

だから今は講義を聴くことに集中して、ノートに取るのは前述したようなキーワード・キーセンテンスくらいです。

 

ところで、この結論に至ったのには、れっきとした理由があります。なんとなーく経験的にそうなんじゃないかというものではありません。

 

人間の脳は基本的に2つ以上のことを同時に処理できません。例えば、「話しながら聞く」とか「聞きながら聞く」とか「聞きながら書く」とかもそうです。いや、実際のところ、2つのことを同時にこなす身体的能力はあるんです。つまり「目と手を同時に使う」とか「耳と足を同時に使う」とか。でもそれが可能なのは、1つの処理に限定されます。

1つの処理をするのに複数の体の部分を同時に使うことはできますが、複数の処理をするのに複数の体の部分を同時に使うことはできません。そういう脳のつくりになっています。

果たして本当か気になる人は、個人的に脳のしくみなどについて調べてみると、理解が深まるはずです。

 

なるほど、だからか。だから「板書を取りながら、先生の話を聞く」ことは不可能なのか。板書を一生懸命取ろうとすれば、先生の話は頭に残らず(聞こえてはいるが、雑音と変わらない)、先生の話を一生懸命聞こうとすれば、板書が取れないのか。

彼方立てれば此方が立たぬ、とはこのことだったのか。

二兎追うものは一兎も得ず、とはこのことだったのか。

 

それならば、どちらか一方に集中する方が理に適ってるよねえ。

 

ということで、今はほとんどノートを取ってません。

ちなみに、ノートに取ったキーワードやキーセンテンスをグーグル先生に聞くと、その分野周辺のおもしろい話題などにもありつけますから(自分が興味のあるワードをメモしたのだから当たり前だけど)、自分で調べ上げることで、脳への定着率も上がるような気がします。(これはただの感覚)

 

でも実際そうですよね。子どものときって、なんでもかんでも、自分の興味のあることを親とか知人とか兄弟とかに聞きまくりましたよね。なんでゾウさんの鼻は長いの?とか。ものすごくベタな疑問ですけど。

 

でもいつからか、先生が教えることだけを教わって、覚えて、吐き出して・・・って。

本当にいつからですかね、ああ、私たちって知的に殺されてるんじゃないですか?

 

別に、先生の言うことは無視して、自分の興味のあることだけをした方がいい、とか言ってるわけじゃないです。ただそれはそれ、これはこれって感じで、子どもに倣って、知的好奇心は、独力で調べて満たすというやり方を忘れたくないなあ、という自分への戒めとしてここに書き残しておきます。